潮騒の結界

海岸線に、奇妙な線が引かれた。海から寄せる波が、その線でぴたりと止まる。あたかも見えない壁に阻まれたかのようだ。町ではそれを「潮騒の結界」と呼んだ。海と共に生きてきた漁師の源さんが、ぶっきらぼうに言った。「昔から、あの辺りの海は何かおかしい。あの『響き』を聞くと、どうも落ち着かなくなるんだ」。

新聞記者の佐伯浩介は、その現象に惹かれた。真面目な男だった。非科学的な噂話に片足を突っ込むことは、彼の本意ではなかったが、事実を追い求める性分が疼いた。役場職員は、町に泥を塗るような噂を嫌った。「高潮対策の特殊な構造物による錯覚です。ご安心ください」。丁寧だが、核心を避けた説明だった。

佐伯は、境界線付近に立った。肌を撫でる潮風は、いつもと同じだった。しかし、網膜の奥で、世界が僅かに震えた。時間の流れが、糸のように細くなった気がした。空間が、柔らかな粘土のように歪んだ気がした。写真には、微細な「波紋」が写っていた。水面に映った、それはまるで、静かな湖面に投じられた小石の軌跡のようだった。

「海底に何かがある」。佐伯は確信した。潜水調査を試みた。暗い海中。視界を遮る海藻のカーテンを掻き分けると、それはあった。巨大な、未知の金属製の構造物。まるで、海中に沈められた巨大な「スピーカー」のようだった。その時、奇妙な「音」が佐伯を襲った。鼓膜を震わせるのではない。脳に、直接、響いた。不快な、耳鳴りのような「響き」。激しい頭痛と共に、意識が遠のいた。

帰還した佐伯は、渾身の記事を書き上げた。この「潮騒の結界」の真実を暴くべく。しかし、掲載直前、彼は愕然とした。過去の新聞アーカイブ。数十年前に、同じ現象が報告されていた。そして、その記事の隅に、寸分違わぬ「波紋」の写った写真があった。構造物は、新しく設置されたものではない。最初から、そこに「あった」のだ。源さんが言った「響き」。役場職員が言った「錯覚」。それは、隠蔽ではなく、「洗脳」だった。あの「波」は、自然現象ではなかった。構造物から発せられる、人間には知覚できない周波数の「音」。その音波が海水を「振動」させ、「結界」のように見せかけていたのだ。人々は、その「音」を聞き、無意識のうちに「波が止まっている」と「認識」させられていた。佐伯自身も、その「音」に影響され、構造物を見たと思い込んでいたに過ぎない。彼が本当に見たのは、音波によって「歪められた海面」の映像だった。この記事は、この「音」と「認識の歪み」を暴くはずだった。

だが、佐伯は自身の原稿に、ある「違和感」を覚えた。記述が、変わっていた。「構造物は音波によって海水を振動させ、結界のように見せかけていた」という、科学的かつ鋭い指摘が、「この奇跡的な現象は、我々の町に新たな活気をもたらすだろう」という、曖昧で肯定的な言葉に、いつの間にか書き換えられていた。それは、佐伯自身の筆跡だった。

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