星詠みのパスタ

高層ビルの谷間を縫うように、夜空に微かな光の線が描かれた。老舗パスタ専門店「銀河亭」の店主、星野暦は、その軌跡を無感情に観測する。店舗の片隅に鎮座する観測ドームは、最新鋭の機器群によって構成されていた。それは、遠い宇宙の星々を捉えるだけでなく、人間という個体の微細な行動パターンをもデータ化し、分析する機能を持っていた。

店のドアベルが鳴り、常連客のアキラが入店する。彼はいつもと変わらず、焦燥感を湛えた目で星野に詰め寄った。「星野さん!今日の運勢、いや、未来の『預言』を教えてほしいんだ!」

星野は、アキラの注文を聞きながら、静かに観測データを処理する。アキラの次なる行動を、彼は数秒前に予測していた。

「本日は、トマトソースのパスタをご注文です。それに、ココアを一杯。」

アキラは、その言葉に眉をひそめた。「どうしてわかるんだ!?昨日、頼んだのはペペロンチーノだったのに!」

星野は、感情の起伏なく答える。「データによれば、あなたの消費行動は、この選択肢に収束します。」

アキラは、星野の淡々とした口調に、かえって不安を募らせた。それでも、彼は星野の言葉に従い、トマトソースのパスタとココアを注文した。店員は、星野の指示通り、無言で厨房へと向かう。

パスタが運ばれてくる。アキラは、フォークを手に取り、一口食べた。その直後、観測ドームの演算システムが、微かなアラートを発した。星野は、そのアラートに視線を移す。アキラの行動パターンに、わずかな、しかし無視できない逸脱が観測されていた。それは、普段の確率分布から外れた、極めて稀な事象の発生を示唆していた。アキラの、普段なら選ばないはずの「ココア」という選択。その些細な行動が、宇宙の標準的な確率予測モデルに、連鎖的な影響を与え始めていたのだ。その影響は、極めて低い確率で、宇宙規模の出来事の引き金となりうる、未知の現象を予兆させていた。

星野は、アキラの行動が宇宙の法則に干渉した可能性を冷静に分析する。アキラは、星野の言葉を信じ、無意識のうちに「ココア」という選択をした。その微細な意思決定が、宇宙の確率に、観測可能なレベルで影響を与えた。ココアに含まれる微量のカフェイン分子が、観測ドームのセンサーに干渉した可能性が示唆される。それは、人間の意思決定が、宇宙の物理法則に、微細ながらも干渉しうるという、これまで仮説でしかなかった事象だった。

「アキラさん。」星野の声は、静かだった。「あなたの選択は、観測確率に影響を与えました。それは、想定外の事象を誘発する可能性があります。」

アキラは、その言葉に顔色を変えた。自分が、無意識のうちに宇宙の運命を左右した可能性。その事実に、彼は恐怖した。しかし、星野の表情は、一切変わらなかった。彼は、ただ淡々と、観測データを記録するだけだった。

アキラは、残りのパスタをかき込み、店を出ていった。その足取りは、店に入ってきた時よりも重く、顔には恐怖の色が浮かんでいた。

星野は、再び夜空を見上げた。観測機器は、アキラの退店後、宇宙の確率予測モデルが、ゆっくりと正常値に戻りつつあることを示していた。しかし、あの微細な干渉の痕跡は、データログに記録されていた。星野は、そのログを静かに眺め、次の観測対象のデータを処理する。予言は、単なる確率の提示であり、人間の選択がその確率を変動させる。それ以上の意味は、彼の仕事の範疇にはなかった。観測ドームの明かりが、静かに夜空を照らしていた。

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