深夜、寺、そして建築家。
深夜、冷たい風が、古刹の境内を吹き抜ける。月明かりに照らされた本堂は、まるで時が止まったかのように荘厳だが、その前では、住職と、寺の改築を任された建築家・山田が、火花を散らしていた。
「いいか、山田!この寺はな、わしの代で急にモダンなものに変えるわけにはいかんのじゃ!屋根は、やはり檜皮葺きじゃ!それと、柱は総檜造りで、壁は漆喰!それが、わしの代からの、いや、先代からの、いや、そのまた先代からの、魂じゃ!」
住職は、古びた絵図を広げ、指でなぞりながら、威厳たっぷりに(つもりで)まくし立てる。しかし、その声はどこか震えていた。対する山田は、腕を組み、鋭い眼光で住職を射抜く。
「住職、それはあまりにも非現実的です!この立地、この規模で檜皮葺き?骨組みは?風圧、地震、火災リスク…最新の建築基準、ましてや現代の建築理論からすれば、論外!この寺には、鉄骨造に免震構造、屋根はチタン瓦、断熱材は最新のポリスチレンフォーム!これが、未来への投資であり、持続可能な建築の在り方です!」
山田の言葉は、早口で、専門用語の嵐だった。まるで、檀家を前にしたプレゼンかのように、流暢に、しかし、住職の耳には「呪文」のようにしか聞こえなかった。
「なんじゃ、そのカタカナばっかりの呪文は!わしらには、わしの時代の『こだわり』があるんじゃ!この軒の出具合を見ろ!雨をしのぎ、風をいなす、自然との調和!これが、わしの哲学じゃ!」
「しかし住職、その『軒の出』、現代の耐震基準では、構造計算上、大幅な補強が必要となり、結果として、その『軒の出』の美学は損なわれるのです。そもそも、檜皮葺きはメンテナンスコストが…」
二人の主張は、まるで交わることのない平行線。そんな二人を、本堂の隅で、息子の悟が、コンビニのコーヒーを片手に、面白そうに眺めていた。
「いやー、マジで。深夜にこんな熱い建築トーク繰り広げられるの、ウケるんだけど。お父さん、あんなに頑固なのに、建築家さんにはタジタジじゃん。」
「他人事じゃねぇ!お前はどっちなんだ!次期住職になるお前が、この寺の未来について、どう考えているのか、聞きたいんじゃ!」
住職は、必死に悟に助け舟を求める。しかし、悟は肩をすくめるだけだった。
「いやー、どっちも『こだわり』がすごいなって。でも、ぶっちゃけ、どっちでもいいっすけどね。だって、結局、この寺って、あの『深夜のベンチ』から見える景色、維持できてるから、まだあるんでしょ?あのベンチに座る『誰か』さえ、満足してくれれば、それでいいんじゃないっすか?」
悟の言葉に、住職も山田も、ピタリと口を閉じた。二人の顔に、先ほどまでの怒りや熱意は消え、困惑の色が浮かぶ。
「…ベンチ?」「…誰か?」
住職は、観念したようにため息をついた。そして、悟に顔を向け、ゆっくりと、しかし、確かな声で言った。
「…わかった、山田。屋根は、お前の言う通り、チタン瓦にしよう。しかし、骨組みは、わしの希望通り、総檜造りだ。これで、どうじゃ?」
山田は、一瞬、目を丸くしたが、すぐに納得したように頷いた。「…住職、それは、前例のない試みですが、建築理論と伝統の融合…面白い。承知いたしました。」
悟は、コーヒーの空きカップを地面に置いた。そして、満面の笑みで言った。「住職、その折衷案、俺、大賛成です。だって、それでしか、あの『深夜のベンチ』から見える景色、維持できないじゃないですか。…まあ、あのベンチに座る『誰か』さえ、満足してくれれば、ですけどね。」
深夜、静寂が戻った古刹。住職と山田は、静かに頷き合った。そして、悟は、月明かりの下、遠くの闇を見つめていた。その顔には、何とも言えない、満足げな笑みが浮かんでいた。結局、この寺の未来は、あのベンチに、そしてそこに座る「誰か」のためにあるのかもしれない。