偽りの風景、真実の願い

内戦の爪痕が生々しいこの温泉郷に、私は美術修復家として足を踏み入れた。復興の灯火はまだ微弱だが、確かに、かつての賑わいを取り戻そうと懸命に息づいている。依頼主は、美術コレクターを名乗る藤堂義昭。彼が求めるのは、この地に伝わる伝説の絵画『静寂の泉』の修復だ。戦火を逃れるため、土中に埋められていたというその絵は、失われた平和の証であり、この郷の復興の象徴となる――藤堂はそう語った。彼の言葉には、芸術への敬意と共に、底知れぬ執着のようなものが感じられた。

温泉郷の女将、千代さんが、絵画の由来を語ってくれた。かつてこの郷は、多くの芸術家たちが安息を求めて訪れる、平和な地だったという。彼女の朗らかな声には、郷への深い愛情と、しかし、どこか拭い去れない影が宿っていた。「この絵には、平和への願いが込められているのよ」そう言って、彼女は絵画が隠されていたという土蔵へと私を案内した。

『静寂の泉』。それは、確かに息をのむほど美しい作品だった。戦災を免れたとは思えぬほど鮮やかな色彩、そして、描かれた風景は、現在のこの温泉郷と見紛うほどよく似ている。しかし、修復作業を進めるうちに、私の鋭い観察眼は、いくつかの「違和感」に気づき始めていた。まず、キャンバスの裏地に張られた麻布。その織り方、質感、いずれも現代のそれとは異質で、まるで、遥か昔に使われていたような古さを感じさせる。そして、絵の具の表面に微細なひび割れが散見される。これは経年劣化によるものではない。まるで、意図的に「古びさせる」ために施された、巧妙な技法のように見えた。

さらに、決定的な違和感は、絵画に描かれた風景にあった。現在の温泉郷と酷似しているが、遠景に連なる山並みの形状が、わずかに、しかし、私には決定的に異なっているように思えたのだ。まるで、別の場所の風景が、この郷の姿に重ね合わされているかのようだった。そして、キャンバスの裏には、判読不能なほど細かく、しかし、驚くほど規則的な線が描かれているのを発見した。

千代さんは、この絵は内戦勃発直前に、伝説的な画家、雪村 蓮(せっそん れん)によって描かれたと語った。蓮はその後、消息を絶ったという。藤堂は、絵画の価値を最大限に引き出すため、「完璧な修復」を求めてきた。だが、彼の言葉には、単なる芸術品への評価以上の、何かを探るような響きがあった。私は、この絵に隠された秘密と、藤堂の真の目的を探り始めた。千代さんの証言と、私が抱く違和感。その間にある「ずれ」が、私を苛んだ。

「蓮は、内戦が始まる少し前、この郷の片隅で、静かに制作に没頭していました。あの頃は、まだ平和でしたね……」千代さんは、遠い目をして語った。彼女の言葉は、絵画の風景と現実のずれを、さらに深めるものだった。そして、彼女の語る蓮の逸話の中に、私の恩師であり、既に亡き、佐伯宗一郎の名が、偶然にしては不自然なほど頻繁に登場することに気づいた。まるで、蓮と宗一郎の間には、何か深い繋がりがあったかのように。

ある夜、私は絵画の裏に描かれた、あの規則的な線に改めて向き合った。それは、かつて恩師・宗一郎が、描画の際の筆圧を記録するために用いていた、特殊な技法と酷似していた。もしや、これは宗一郎の筆跡なのか? 私は、千代さんの証言と、この温泉郷の地形図を照らし合わせた。そして、衝撃の事実に辿り着いた。絵画に描かれた風景は、現在の温泉郷ではない。内戦勃発直前の、「ある場所」――蓮が隠遁生活を送っていたとされる、山中のアトリエ周辺の風景だったのだ。つまり、この『静寂の泉』は、本物ではない。

私の指先が、キャンバスの裏地をなぞる。そこには、もう一枚の絵の、かすかな輪郭が浮かび上がっていた。蓮の筆致を模して描かれた「静寂の泉」。それは、本物の絵画を戦火から守るために、千代さん――雪村 蓮自身が、その上に重ねて描いた贋作だったのだ。贋作の筆致は、蓮のものと瓜二つだった。しかし、その下地には、私が最も得意とし、恩師から受け継いだ、あの特徴的な筆致が、微かに、しかし確かに残っていた。

「私が、雪村 蓮です」

千代さんは、静かに告白した。彼女こそが、消息を絶った画家、雪村 蓮だったのだ。内戦の混乱の中、愛する温泉郷と、ここに残した家族――私の恩師、宗一郎を守るために、そして、戦火に苦しむ人々への平和への祈りを込めて、彼女はこの贋作を描いたのだという。宗一郎は、蓮の秘密を守り、彼女の代わりにこの贋作を「本物」として世に送り出そうとしていたが、叶わぬまま戦火に散った。藤堂は、この贋作に「完璧な偽装」という芸術的価値を見出し、本物の絵画を求めていたのだ。

私は、贋作の修復を終えた。それは、見事な芸術作品であり、同時に、「平和への願い」と「愛する者を守るための嘘」という、二つの意味を持つ「真実」の姿だった。私は、この絵を藤堂に引き渡すことを拒否した。千代さんと共に、この絵を、温泉郷の復興のために役立てようと決意したのだ。

芸術とは、単なる美しさではない。その背景にある人間の意思、行動、そして時には「嘘」によっても、その価値は揺るぎないものとなる。平和という崇高な目的のためならば、偽りの風景に真実の願いを託すことさえ、許されるのだろうか。私は、芸術と倫理の境界線上で、静かな感動と、深い思索に包まれていた。

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